イチロー選手が引退を表明して、はや数日が経ちましたね。
彼はここ20年ほどの日本人野球選手において最も偉大な功績を残したと言っても過言では無いでしょう。
そんなイチローの引退で、日本球界はその話題で持ち切りとなっている感すらあります。

自分も実は在りし日のオリックス・ブルーウェーブファンでして、今回のことで色々と思い出されることなどもあったりするのです。
今回はそんな自分のノスタルジーをただ勝手に語りたいと思います。

オリックス・ブルーウェーブにイチローが颯爽と登場した当時、自分は神戸在住の小学生でした。
学生時代野球のチームに所属したことなどはなくずっと趣味程度でやってきていて、当時も父親とキャッチボールするぐらいのゆるい関わりをしていました。
そんな父親が阪急時代からのファンということと近くにグリーンスタジアム神戸があったことで、小学校高学年あたりから家族で頻野球観戦をするようになったのです。
それまでキャッチボールぐらいしかしていなかった自分は野球のルールすら曖昧で、中継もろくに見てはいませんでした。
そんな自分が初めて球場に行った際にすぐに目に入ってきたのが「目指せイチロー 200本安打」というポスター。
それを見て「誰だ?このイチローって」というのが、イチローとの最初の出会いでした。
それからは頻繁に観戦に出向くようになり、また94年のオリックスは優勝こそ逃したものの強いチームでもあったので、あっという間に自分は野球観戦にのめり込んでいきました。

そんな中95年に震災がおき、自分の住む地域は比較的被害が少なかったもののやはり心のダメージなどもあって「がんばろうKOBE」の旗印のもとに優勝を成し遂げたブルーウェーブ、そしてイチローに勇気をもらいました。

そして何より印象に残っているのが96年の連覇です。
95年の優勝はマジック1になってから一度見に行ったのですが惜しくもそこで勝利とはならず、埼玉に舞台を移したテレビ中継での観戦でした。
96年は知っての通りホームのグリーンスタジアム神戸での優勝を決めていて、自分もその試合を見に行っていました。
とはいえその試合は楽な試合ではなく、ブルーウェーブは日本ハムに1点差で9回2アウトまで追い詰められます。
そこで代打で出てきたのが当時大砲として活躍していたD・J (ダグ・ジェニングス)。

ただこのとき自分はもう駄目だと思っていました。また自分は優勝の瞬間をこの目で見られないのだと。
なので最終バッターとなってしまうD・Jの打席を直視することができず目を伏せていたのです。
そうしてグラウンドを見ないでいると急に割れんばかりの大歓声が沸き起こります。
慌てて視線を上げると外野前列にいた自分の頭上に白球が高々と舞い上がっていました。

かくして奇跡的に2アウトから同点に追いつき、試合は延長になります。
そうして迎えた10回の裏、遂にあの瞬間を迎えることとなりました。
先頭の大島がヒットで出塁し、迎えるバッターはあのイチローです。もうこれ以上無いという舞台演出。
いつものように綺麗に流し打った打球がレフトへと飛んでいき、外野手がボール処理にもたついている間に大島が生還、優勝が決まりました。
その時2塁ベース上で飛び跳ねていたイチローの姿が今も忘れられません。
なんともドラマティックで感動させられた優勝のシーンでした。

その後はオリックス・ブルーウェーブが低迷するのと同時に、中学生となって野球観戦から少し興味を失ってしまい、野球そのものから離れてしまいました。
高校でもそれは続き、大学になって野球観戦を再開しますが阪神タイガースに鞍替え。
そうこうしているうちにオリックス・ブルーウェーブという球団も無くなってしまいました。
イチロー選手に関してはメジャーでの活躍の節目節目は見ていましたが、当時中継を見る手段もあまりなくそこまで追っかけていたわけでもありませんでした。
その後もWBCで活躍する彼の姿は真剣に見ていましたが、あれほど熱狂していた小学生当時の熱量はやはり無かったと思います。

そんなわけで後半にかけて自分の人生の中でそこまでウェイトを占めていたわけではないイチロー。
しかし当時はまぎれもなく自分にとってめちゃくちゃ格好いい”ヒーロー”でありました。
今回引退すると聞いて、そんな昔のことを思い出して切なくなった次第です。
有象無象のファンのうちの一人ですが、こうやって影響を与えられていたんだなぁ、と。

今後イチロー選手がどんなキャリアを歩むのかはわかりませんが、一時代を築いた偉大な選手として賛辞を送りたいと思います。